視覚障害者の就労の現状と課題
1997年1月31日
北星学園大学 文学研究科 社会福祉専攻
吉田 重子
本論文は、かなりボリュームが大きいためホームページ掲載に当たり4分割させていただきました。
各ページの最後のほうで次のページへリンクを張ってありますが、そのほか、論文を一つの標準テキストファイルにまとめたものをlhaで圧縮した yoshida.lzh もホームページ上に掲載させていただきました。それをダウンロードされたい方は
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以下、論文です。
序章 問題の所在
ここに、一つの新聞記事がある。
「本年度の国家公務員採用II種試験で、全盲の視覚障害者として全国で初めて点字試験で合格した明治学院大法学部4年の福嶋義忠さん(21)=札幌市出身=が一日、道庁で行政職の内定通知書を受け取った。労働省の道内出先機関であるハローワーク(公共職業安定所)などでの勤務が予定されており、『第一戦に立ちたい』と抱負を語った。
この日は、来春卒業予定の大学生らの採用内定解禁日。『ほっとしました。就職活動が無事終わったという気持ちです』心境は多くの学生と同じ。全国初の点字試験合格者だが『結果的に視覚障害者だけではなく、多くの障害者が働ける環境が広がればと思います』と気負わず、『明るいのがとりえ。人間関係を広げ、困難は工夫で乗り切りたい』と意欲を見せた」(注1)
「点字試験は91年度から国家公務員採用試験に導入され、これまで42人が挑戦したが、札幌市東区出身の明治学院大学法学部4年、福嶋義忠さん(21)=横浜市 =が初の合格者となった。」(注2)
これは、この論文の冒頭を飾るのにふさわしいニュースである。ここに至るまでには、本人の人一倍の努力を中心としながらも、各地方・国家公務員試験への点字受験を認めさせる要求運動の、学習環境(文字を中心とする情報の保証)整備のための、周囲からの大いなる協力とが実を結んだものである。これからの活躍を願ってやまないところである。
国連は、1981年を「国際障害者年」とし、そのテーマを「全面参加と平等」と定めて、その実現を目指し「障害者の10年」をスタートさせた。このことは、我が国の障害者への諸施策にも大きな変化を与えた。1987(昭和62)年の、「障害者の雇用促進等に関する法律」の制定も、「身体障害者雇用促進法」の、抜本的な改正として、大きな成果の一つと考えられる。そして、この法律に基づく「日本障害者雇用促進協会」が取り組むべき業務の一つとして、「重度障害者などの雇用機会の拡大」を中心的な柱としたことは重要である。
これまで、障害者の中でも、視覚障害者の職業といえば、「按摩、針、灸」という、いわゆる三療業に限定されがちであったが、実際には、免許法の改正をはじめとして、この業界自体変化しつつある。一方で、僅かながら、他の職域で雇用され、活躍する視覚障害者の様子が報じられるようになってきたのも、この80年代の流れによるものかもしれない。
しかし、そのような中で、「視覚障害者の職場定着方策に関する調査研究会」は、大卒で民間企業に就職した全盲者の、次のような事例を報告している。
「当時同社では、点字が使用できる人材を求めていた。入社後、本人は事業統括部情報室に配属となった。主な業務は、同社で開発した商品を視覚障害者の側に立って評価し、開発部に助言を与えることである。ただし、その内容は、一般向けに開発した商品が視覚障害者にも使えるか否かの評価であり、基本的には視覚障害者向けの商品開発が目的ではないため、本人の意見が商品開発に繁栄されるわけではない。(中略)本人によれば、会社は障害者雇用に対して、ある程度の理解を示している、(中略)一方で、多くの社員が本人の職務内容を会社の本流からはずれた業務として軽視する傾向にある、との印象を抱いている。本人自身も、現在の職務内容が直接、会社の利益に繋がらない、という考えを持っており、直接、主業務に繋がる部門への配置転換を希望している」(注3)
また、企業への就職がかなった盲学校卒業生が訪ねてくると、「どう?忙しいでしょう」などと教師たちが問いかける。「ほんとうは、みんなが忙しそうに動き回っているのに、私にはあまり仕事がないんです。それで、会社に行って、仕事に関係のありそうな本を読んだり、ワープロの練習をしたりしているんです」と私にそっと語ってくれる。
そもそも、「視覚障害者の就労」というこのテーマに取り組もうと考えた私自身のきっかけも、10数年という職業生活を通して得た体験、その場における自分の役割や今後への不安から生まれたものである。
このような現状をもあわせ考えてみる時、視覚障害者が、社会(企業)の中で、視覚障害という損傷からくる脳力障害をどのように配慮され、社会的不利を克服して活躍しているか、そしてまた、どのような面が不足し補う必要があるのか、などについては、意外に知られていない。そこで、これら諸々の要因を調査・研究することによって、視覚障害者の「全面参加と平等」を実質的なものとして、実現するためには、どうすればよいかを追求することが本研究の中心的な目的である。
本研究は、視覚障害者が(1)どのような進路希望を抱き、(2)どのようにして職能を身につけたか、(3)就労するに至った経過や、その間、就労の妨げとなった要因があったとすれば、それはなにか、(4)就労が実現した後、働き続け、職業人として生きていく時に必要なのはなにか、など、個々のケースについて検討し、問題点を整理することにより課題を明らかにするものである。そのため、この研究を開始するに当たって、まず第1章では、「障害」の概念、障害をどう捉えるかを明らかにすることによって、問題の視点となる原点を明確にする。続いて第2章で、就労の根拠である、「職業」の概念について触れる。第3章では、視覚障害者の終業の現状を実態調査結果から把握し、第4章で歴史的背景を概観した後、教育・訓練の現場からの現状を概観する。第5章では、8名の事例を通して問題を深める。第6章では、これらを過大として整理し、分析する。そして、最後に、できる限り解決策を導き出し、まとめとしたい。
なお、一口に視覚障害者と言っても、障害等級は1級から6級まであり、移動や普通文字の処理にほとんど支障を来さないものまで含まれている。また、今や、先天性の視覚障害者よりも疾病や事故での外傷などによる中途失明者が大半を占めており、障害受容やリハビリテーションの補償など、就労に至る新たな問題を含んでいる。さらに、盲学校現場の現状として、後に詳述するが、軽度から重度に至る知的障害を合わせ持つ、重複障害者の、いわゆる福祉的就労の場の問題も、決して見逃せない。これらの多様な状況をふまえた上で、本研究では、視覚障害者として重度の、特に、日常、点字を使用して生活している視覚障害者の問題に焦点を当てることとした。なお、このような視点の中には、中途失明者の復職、あるいは、現職復帰の問題も含まれるものと思うが、ここでは、新たな稿を起こさず、進路選択から職務遂行まで、という、一連の流れとして捉えることとした。
第1章 障害をどう捉えるか
これから、視覚障害者の就労について述べるに当たって、まず、ここでの「障害」の概念について、明らかにしておく必要がある。
第1節 障害は個性ではない
「障害は一つの個性である」という捉え方がある。最近では、我が国の障害者白書などにおいても、このような障害観が支持され、この「障害個性論」に基づく共生の思想が普及してきた。
しかし、はたして、障害は「個性」と呼べるものであろうか。そこで、あらためて「個性」とはなにか、ということについて言及してみた。
まず、「個性」を心理学用語としての角度から見ると、「発達心理学事典」では、「個性(Individuality)その人らしさ、独自性(Uniqueness)を表すパーソナリティの性質を個性という。個性の研究には二つの異なった立場がある。一つは、個性はその個人に特有なものであって、他の個性とは共有されることのない質的に異なった独自性であるとする。オルポート(Allport. G.W.)に代表される立場である。この立場では様々な個性はそれ以上分割することのできない個体差であると考える。
もう一つは、各個人は共通のパーソナリティ要素、例えば抑鬱傾向、劣等感、協調性、服従性などをもっており、それぞれの要素の重みの違い、すなわち個人差が個性であるとする。ギルフォード(Guilford. J. P.)に代表される立場である。この立場に立つと、個性は、共通のパーソナリティ要素の量的な違いになり、その人のみがもつ独自性ということにはならない。
これらの二つの立場は、パーソナリティ研究に数々の論争を巻き起こしているが、人間観の違いを反映したものであるために、優劣はつけがたい。個性はそのほか、知能・能力・容姿・感性などについてもいわれる。」(注1)障害を個性と捉える考え方は、おそらくこの第2の立場に立った人間観をベースとし、個性をいわゆる「個人差」と捉えたのであろう。
一方、「広辞苑第4版」によると、「個性(1)(Individuality)他の人とは違うその個人にしかない性格・性質。〜をのばす。(以下略)」とある。ここでもっとも気になるのは、その用例である。つまり、「個性をのばす」とあり、これを「障害」と入れ替えて「障害をのばす」となるとどうだろうか。さらに、他のいくつかの辞典をひもといても「個性を発揮する」「個性の尊重」などの用例が登場し、これを障害と差し替えてみれば、やはり違和感がある。障害がもっともっとのばしたり、発揮したりするべきものだとすれば、この論文の未来は、実に明るいものになるかもしれない。
確かに、障害者に対する処遇の歴史が、差別・迫害の対象となったり、同情・慈善の対象となったり、と否定的な側面を背負うものであったことを考えれば、障害を「個性」「個人差」として捉え、一般社会の中に取り込んで共生していこうとする社会的主張としては評価できる。しかし、そこには、本質的に大きな落とし穴がある。「論文の未来は明るいかもしれない」と前述したが、現実として決して未来は明るくはない。しかし、現実は明るくない、という単なる主観的な現実論を理由に、その考えや立場を否定しているのではない。それは、次のような一文によって、明らかである。
「我々の必要とする情報の大半のものは、通常視覚器系統を通じてやりとりされる。それだけに、視覚器系統の流れのいずれかに障害がある時、日常生活はもとより職業生活にも重要な支障が生ずると推測し、その就業に関して多くの困難を想定するのが一般的な傾向である」(注2)
つまり、本研究の主題である「視覚障害者の就労」の問題において、就労者、雇用者、それぞれに越えなければならない課題(リスク)があるということである。では、その課題の内容はより具体的にはどのようなものか。そして、それらの課題は、どのようにして、なぜ生じたのか、もう少し系統立てて考える視点が必要になってくる。
第2節 障害を三つのレベルで捉える
まず、課題のないように入る前に、課題はどのようにして、なぜ生じてくるかを系統立てて考える視点、それはまさに、障害をどう捉えるか、という原点の問題である。
国際障害者年行動計画の第62項に「国際障害者年は、個人の特質である『機能・形態障害(Impairment)』とそれによって引き起こされる支障である『能力障害(Disability)』、そして能力障害の社会的な結果である『社会的不利(Handicap)』の間には区別があるという事実についての認識を促進すべきである」とある。これは、リハビリテーション医学の分野からの発想であり、中でも、上田敏の障害構造論が理論的にもっとも体系化されている。以下、それを紹介することとする。
「Impairment(機能・形態障害)生物学的レベルで捉えた障害、Disability(能力障害)個人のレベルで捉えた障害、Handicap(社会的不利)社会的レベルで捉えた障害。この『レベル』とは『階層』というのと同じ意味であり、『〜のレベルで捉える』いう表現は『本来一つのもの(障害あるいは障害者)を異なった視角で捉えることによって同じものが異なった姿であらわれてくる』ことを示している。すなわちいうまでもないことながら、これら三つは別々のものではなく、立体的、有機的な階層関係に立ち、互いに相対的に独立であるとともにまた相互に規定しあっている。まさに弁証法的な構造を持っているといってもよい」(注3)このように、独立しながらも、それぞれ相互に関係しあう、三つのレベルについて、もう少し詳しくは次のように述べている。「『機能・形態障害(Impairment)とは障害の1時的レベルであり、直接疾患(外傷を含む)から生じてくる。生物学的なレベルで捉えた障害である。能力障害または社会的不利の原因となる、またはその可能性のある、機能(身体的または精神的な)または形態の何らかの以上をいう……機能・形態障害とはもっとも即物的・具体的に手足が動かない、あるいは手足一部が欠損しているという形で捉えることのできる障害であり、その意味でもっとも基礎をなすレベルであるといってよい。……二次的な障害である能力障害(Disability)とは、普通の人であれば通常当然行うことができると考えられる好意を実用性を持って行う能力の制限であり、脳卒中では歩行の障害、手で行う種々の日常生活動作の障害という形で現れ、脊髄損傷であれば起立・歩行不能という形で現れる。筆者の定義は、『能力障害(Disability)とは障害の二次的レベルであり、機能・形態障害から生じてくる。人間個人のレベルで捉えた障害である。与えられた地域的・文化的条件下で通常当然行うことができると考えられる好意を実用性を持って行う能力の制限あるいは喪失をいうのである。……社会的不利(Handicap)は実は最も重要な障害である。脳卒中患者の場合、例えば歩行障害のため通勤が困難になり職を失ったり、そのために家庭の中での役割・地位も失って、生きがいを喪失したり、経済的困難に直面したりすることがこれに当たる。また脊髄損傷者の場合ならば、せっかく車椅子と自動車を駆使して移動能力を再獲得したにもかかわらず、適切な職場がないためにその能力を発揮できず自宅や施設に閉じこもってしまうことも含まれる。その他、結婚・旅行・レクリエーション、文化的・社会的活動への参加等のうえで、障害者は健常者の思いも寄らないハンディキャップ(不利)を味わいがちである。筆者の定義は、『社会的不利、Handicapとは、障害の三次的レべルであり、疾患、機能・形態障害あるいは能力障害から生じてくる。社会的存在としてのレベルで捉えた障害である。疾患の結果としてかつて有していたあるいは、当然補償されるべき基本的人権の行使が制約または妨げられ、正当な社会的役割を果たすことができないことをいう』である」(注3)
さらに、このDisabilityとHandicapとの関係については、カナダモデルの障害概念図が注目されている。カナダモデルとは、早くからWHO国際障害分類(特に三つのレベルの区分)を障害(者)対策のために使ってきたカナダで、80年代後半に、「ハンディキャップ発生プロセス」というタイトルの独自のモデルを作成し、「カナダモデル」として、世界的にアピールしているものである。そして、障害の概念図の中に環境因子を位置づけ、個人の内部の因子と環境との相互作用によってハンディキャップが産み出されるとした。
以上のような障害の捉え方、障害の階層構造を視覚障害者に当てはめてみると、次のようになる。
視覚障害者にとっての機能・形態障害は、疾病、あるいは自己等の外傷による失明である。能力障害は、その失明により、自由な移動(歩行)や文字の読み書き、他人を容姿によって識別することなどが困難になる。これらのことから、社会的不利を特に、就労の場面で考えてみると、たとえ就職以前に歩行訓練を受けたとして、目的地、つまり次々と新しい取引先や出張先への移動は難しく、また、OA機器などの訓練を受けて普通文字の読み書きの技術をある程度習得したとしても、情報処理、つまり、膨大な書類をチェックしたり、一定の書式に乗っ取って書き込むなどの事務処理についての困難さは、これに当たるといえるであろう。ここには、当然環境因子も加わって、事態をますます複雑にする。そして、このことこそが前述の課題(リスク)の根幹である。
このような障害の捉え方の立場に立って、障害を三つのレベル、客観的な階層構造として把握することによって、社会的存在としての障害者の問題が、初めてしっかりと見えてくる。
第2章 職業をどう捉えるか
就労の問題を取り扱うに当たって、職業に対する考え方の原点を確認しておく必要がある。この件に関しては、我が国でもっとも早くから「職業社会学」として研究を手がけた小高邦夫は次のように述べている。「その第1の答えによれば職業とは衣食のもとを得るための継続的活動である。それはなによりもまず生計維持の手段である。それゆえそれは『生業』と呼ばれるにふさわしい。しかし今日のごとき貨幣経済の社会において生計を立てるためには一定の金銭収入を得るを必要とする。故にそれは広義において『営利的』である。この意味では生計のための職業は同時に営利のための職業となろう。しかし生計を立てるにしろ収入を得るにしろそれが何者かを社会から享受することに変わりはない。すなわち職業生活はここではもっぱら享受の生活である。
これと異なり第2の答えは言う、職業生活はむしろ寄与の生活である。社会生活は他よりなにかを享受する面と他になにかを寄与する面とからなっている。職業はこの後の面に相当する。人々は職業を通じて諸々の文化を産出しこれによって互いに寄与しあう。かかる生活様式はその言葉の最広義において『産業』である。それは各人がそのもっとも得意とするところを発揮することにおいて営まれる。もしも各人が『天職』として蔵するものを十分に建言するならば各人は相互に最大の寄与をもたらすこととなろう。かの『適材適職』とはこのことを目指せるに他ならぬ。すなわち肝心なのは『個性』の発揮ということである。そこで職業とは個性発揮を持って他に寄与するところの生活様式ということになる。
然るに第3の答えは言う、職業とはつまり『職分』のことである。それは人間として作るべき本文あるいは使命である。各人は夫々に一定の特殊的分担を持っている。この分担を果たすことは各人に課せられたる義務である。而してこの義務の遂行が職業に他ならない。世の中は持ちつ持たれつである。人々は互いに助け合い尽くしあわねばならない。すなわち『相互扶助』と言い『社会的連帯』と言うことが職業の確信である。そこで職業をして職業たらしむるものは連帯実現ということになる。かかる見解は職業の道徳的見解と見られるであろう」(注1)
言い回しは現代にそぐわない部分もあるが、およそ職業とは、(1)生計維持のための収入を得る(2)個人を発揮し、物事を生み出す(3)各々が分担する社会的使命を果たす、の三つの要素から成り立っていると言える。以下、このような、三つの要素の意味合いをふまえて、視覚障害者の就労に関する論を展開して行こうと思う。
第3章 視覚障害者の就業の現状
第1節 障害者全般における就業の現状
労働省は、「障害者の雇用の促進等に関する法律」に基づき、障害者の雇用率(以下法定雇用率と言う)を(表1)のように定め、これが達成されるよう行政指導を行っている。
「障害者の雇用の促進等に関する法律」において定められた雇用率(以下「法定雇用率」と言う)は以下の通りであり、各企業、法人、機関は、この率以上の割合を持って身体障害者を雇用しなければならないこととなっている。
(表1 ) 法定雇用率
民間企業
一般の民間企業 1.6%
特殊法人 1.9%
国、公共団体
現業的機関 1.9%
非現業的機関 2.0%
労働省発表の障害者の雇用状況調査によると、1996年6月一日現在、民間企業では、実雇用率が0.2ポイントアップしたとはいえ、雇用率未達成企業が49.5%を占めている。また、企業の規模別に見ると、規模が小さい企業ほど、実雇用率が高いという現状である。国や地方公共団体でも、雇用率のそのものは上昇している。
しかし、このような雇用率上昇の動きは、不景気による一般就業人口の低下に伴う相対的な数値である、とも捉えることができる。
第2節 視覚障害者の就業の現状
1.視覚障害者の障害程度
障害の程度(等級)は障害の部位によってもその分布に差異がある。視覚障害者について、他の障害者と比較してみた。厚生省の1991(平成3)年度「身体障害者実体調査」によると、18歳以上の在宅視覚障害者数は35万3千人であり、身体障害者全体(272万2千人)の13.0%を占めている。障害別の重度身体障害者(身体障害者手帳1・2級所持者)の割合を見ると、視覚障害者は57.5%を占め、身体障害者全体の40.1%よりも高く、内部障害者の53.1%肢体不自由者の34.8%聴覚障害者の29.6%と比較し障害別でもっとも高くなっている。このように、視覚障害者には、重度障害者が多い。
2.視覚障害者の就業状況
厚生省の1991(平成3)年度「身体障害者実態調査」によると、18歳以上の視覚障害者数35万3千人のうち、就業者は9万6千人で就業率は28.1%である。これは、身体障害者全体の就業率34.1%(一般の雇用率61%)から見て低い数値であり、さらに、障害別の就業率を見ても、肢体不自由者の33.6%、内部障害者の28.9%、聴覚言語障害者の28.3%と比較しても、障害別で低い率を示している。
視覚障害者の職業別従事者を見ると、按摩・マッサージ・指圧、針、灸従事者が2万7千人で39.6%と集中しており、農業・林業・漁業従事者が12.5%、技能工・採掘・製造・建設・労務従事者が8.5%などである。次にこれを、就業形態別に見てみると、障害者全体では一般雇用がもっとも高く、自営業主は24.8%であるのに対し、視覚障害者では、自営業種が37.8%でもっとも高く、一方で、他の障害に比べ、一般雇用者の割合が23.4%と、もっとも低くなっている。さらに、労働省の1993(平成5)年度「身体障害者等雇用実態調査」によると、従業員1,000人以上の事業所における雇用率を見ると、視覚障害者は6.7%で、障害別でもっとも低くなっている。
これらのデータから、視覚障害者の就業においては、(1)就業率が低いこと、(2)就業者の4割近くが按摩・マッサージ・指圧、針、灸のいわゆる三療業に集中していること、(3)前述の現状に関わって、自営業主の比率が高く、一般雇用者の比率が低いこと、(4)大企業での雇用率が低いことなどの特徴が指摘できる。
第4章 視覚障害者の職業的自立の歴史的背景と現在の状況
これまでに、統計資料から視覚障害者の就労の現状について、見てきた。
それでは、このような、現状における特徴や問題点はどこから発生しているのか。次に、これまでの視覚障害者の生活を、特に、職業自立という側面から概観しておきたい。
第1節 明治以前の視覚障害者の生活の概観
明治以前、特に、江戸時代の視覚障害者の多くは、幕府の政策の下、陶道座と呼ばれる封建的組織構造を持つ職業集団を形成し、主として、按摩・針・灸の治療家、琴の演奏家や琵琶法師、ごぜなど、いわゆる芸能的分野と、宗教的分野を合わせ持つ役割を果たし、それなりの保護を受けていた。特に、杉山和一は、陶道座の中でも、検校という最高の地位を与えられ、針師としての功績を、幕府によって認められた。このことは、その後現在に至るまで、三療を、視覚障害者にとっての重要な職業として、位置づける大きな要因になったと考えられる。
第2節 伝統的職業としての三療業の現状
そして、1878(明治11)年、京都府立盲院(現在京都府立盲学校)、1880(明治13)年楽善会訓盲院(現筑波大学付属盲学校)が創立されたのをはじめとし、各地に盲学校が作られていくが、盲学校における職業教育の中心は三療であり、その後100年以上も続く伝統的な職業となっていった。
一口に、三療業と言っても、まず免許の形態について若干触れておくと、「按摩・マッサージ・指圧師」で1種類、「針師」「灸師」と、併せて3種類の免許からなっており、これを一般に三療と呼ぶ。各盲学校や国立の三療師養成施設には、「按摩等」の1科のみの免許を取得するコースと、3科をすべて取得するコースとがもうけられている。これまで、これらの免許は、各都道府県を単位として与えられ、知事による認定であったが、1988(平成元)年の「按摩・マッサージ・指圧師、針師・灸師等に関する法律」(以下「アハキ法」)の改訂により、国家試験となり、厚生大臣による認定として、1993年より実施されている。この法律改正は、アハキ師の資質向上を目指すことを目的としたものであるが、視覚障害者にとっては、新たな課題をもたらした。つまり、問題形式は、視覚障害者にとって不利なものと変わり、この免許法が施行されてからこれまで四回の試験の結果は(表2)の通りであり、視覚障害者の合格率は晴眼者のそれに比べて、いずれの免許においてもかなり低いことを示している。
(表2) アハキ試験合格者の合格率比較
按摩・マッサージ・指圧師
視覚障害者 晴眼者
1993年 82.6% 97.3%
1994年 71.6% 93.7%
1995年 76.7% 93.5%
1996年 77.5% 96.0%
針師
視覚障害者 晴眼者
1993年 72.4% 94.4%
1994年 67.7% 90.8%
1995年 58.7% 85.3%
1996年 63.2% 87.0%
灸師
視覚障害者 晴眼者
1993年 71.4% 94.0%
1994年 68.3% 90.7%
1995年 60.0% 85.3%
1996年 62.3% 82.6%
(「全国盲学校校長会調べ」より抜粋)
この問題については後にも述べるが、今や「国家試験不合格生徒の対応の問題」として、盲学校高等部における進路指導のもっとも中心的な課題の位置を占めている。なお、この法律では、受験資格を高等学校卒業後としているが、特例措置として、「視覚障害者の場合、中学校卒業後、按摩・マッサージ・指圧の単科については3年以上、針灸を含めると5年以上、知識・技能を習得すれば受験できること」(「アハキ法」第18条第2項)となっている。
しかし、このような法改正による状況の変化を待つまでもなく、三療はすでに、視覚障害者にとって、安定した伝統的な職業とはいえなくなってきているのが現実である。厚生省の「衛生行政業務報告」によると、三療業に従事する晴眼者の割合は、年ごとに増加し、三療に従事する視覚障害者と晴眼者の比率は1960(昭和35)年には55.7%対44.3%であったものが、1979(昭和54)年には46.4%対53.6%と逆転した。さらに、個別的にも、按摩業での晴眼者の増加が目立ち、この1960年から1979年のやく20年間の間に、視覚障害者の29.5%増に対し、晴眼者は116.3%増となっている。そして、1994(平成6)年現在、按摩・マッサージ・指圧師で、35.2%対64.8%、針師で27.8%対72.2%、灸師では、27.1%対72.9%となっており、三科とも視覚障害者が占める割合は、4割を下回っている。このことは、三療業は、今や、視覚障害者の安定した職業とは言えないことをはっきりと表している。
第3節 盲学校教育における職業教育
1996年現在、高等部を有する盲学校は全国で61校あり、すべてに理療課程が設置されている。そのほか、学校により、理学療法科、音楽科、家政科、ピアノ調律科、情報処理学科を有するところもあるがごくわずかである。この件に関して、文部省は、1961(昭和36)年度から3年間にわたり、養鶏・養豚・ピアノ調律など、11の職種について、盲学校15校を指定し、新しい職業開拓のための実験的研究を実施したが、ピアノ調律以外は定着しなかった。全国盲学校普通科教育連絡協議会(以下「普連協」)の調査によると、1995年度、全国盲学校61校の普通科卒業生の進路先について、それぞれの人数を合計すると、(表3)の通りである。
(表3) 平成7年度高等部普通科卒業生の進路
aは卒業生数合計、bは専攻科《理療科(注1)・理法科・保理科(注2)・その他》、cは大学《一般の大学・一般の短大・筑波技短・準備中『浪人』》、dは本科《保理科》、eはその他《就職・訓練校・作業所授産所・在宅・その他》をそれぞれ示す。
a 卒業生数合計 292人(点128人、墨164人)
b 専攻科
理療科 (点 31人、墨48人)
理法科 (点 0人、墨 2人)
保理科 (点 17人、墨20人)
その他 (点 5人、墨 1人)
c 大学
一般の大学 (点 8人、墨4人)
一般の短大 (点 4人、墨3人)
筑波技短 (点 5人、墨4人)
準備中 (点 7人、墨0人)
d 本科
保理科 (点 2人、墨4人)
e その他
就職 (点 2人、墨24人)
訓練校 (点 2人、墨5人)
作業所授産所 (点30人、墨34人)
在宅 (点 4人、墨6人)
その他 (点 11人、墨9人)
(全国盲学校普通科教育連絡協議会平成8年5月調査)
この結果から、(1)三療業の免許を取得するための理療科、あるいは保健理療科のコースを進路選択しているものが圧倒的に多い。(2)就職したものは、特に、点字使用者においては、きわめて少ない。(3)作業所・授産施設等に通うもの、在宅の状態にあるもの等の数値が高いことは、障害の重度化・重複化の傾向を顕著に表している、などのことがわかる。
さらに、高等部を有する盲学校61校に対し、進路指導に関するアンケート調査を行った結果から以下のことが読みとれる。(注3)
問い「大学進学や、企業への就職など、三療以外の進路を希望する生徒に対して、どのような対策をとっていますか。(記述回答)」
これに対し、進学希望者が存在する学校では、一応に補習授業を行ったり、公開模擬試験などを受けさせていると回答している。また、就職への指導としては、「職場実習」あるいは「現場実習」を実施したり、実習先の開拓に努力している学校が、併せて39校に上った。企業の詳細、仕事の内容は不明だが「企業就職希望者は、理療に進学できない生徒が対象になることが多く、希望企業などに職場実習を依頼して、その職場の作業内容や対人関係を体験させている。」「一般企業就労は主として知的障害を伴う生徒が多いので、障害者職業センターの評価や積極的に職場実習をさせて進路決定を指導している。」など、これらの回答に代表されるように、盲学校の高等部では、知的な障害を合わせ持つ生徒が増加し、今や、三療以外の進路希望者といった場合、それは、自らの意思による、積極的な意味での進路選択のケースはあまり見られず、むしろ、三療の学習を習得し、前述の国家試験に合格することが困難な生徒のケースが、大半を占めていることになる。また、中には、「一般就職希望者に対して、視覚障害者の企業への就職は非常に難しいことを意識させた上で、職安や中小企業経営団体などと連携をとり、積極的に就職相談を理解してもらう。」という回答もあり、現実的対応の一端を率直に示すものである。中には、「企業への就職を希望する生徒だけでなく、教育課程の中に『産業マッサージ実習』をもうけ、県内企業や労働関係行政機関へ実習に出かけている。」という前向きな回答が1校あった。産業マッサージは、後に述べるヘルスキーパーのことで、三療の分野ではあるが、一般企業の中に職域を拡大していこうとする積極的な取り組みである。
このように、盲学校における進路選択、進路指導の現状は、一口にいって重複障害者を含めて多様化していることに加えて、「本校入学者には、三療の免許を取らせるのが目的」という回答に代表されるように、伝統的使命と、現実の国家試験対策とが中心的な課題となっていることがわかる。
第4節 職業訓練施設における職業教育
盲学校における職業教育が三療を中心として行われているのに対し、職業訓練施設でも、まず、全国5箇所にもうけられた国立視力障害センターが三療の免許取得のコースを置いている。
三療以外の職業訓練としては、1965(昭和40)年、社会福祉法人、日本ライトハウス職業生活訓練センター(現在、日本ライトハウス視覚障害リハビリテーションセンター。以下、「ライトハウス」)が設立され、構内電話交換科(電話交換手)、情報処理科(コンピュータプログラマー)、弱視者対象のコースとして、機械科(機械工)の職業訓練が始まった。その後昭和50年代に入り、労働省の管轄として、国立身体障害者職業リハビリテーションセンターで電話交換手やコンピュータプログラマー、社会福祉法人日本盲人職能開発センターにおける録音ワープロ速記(現在、音声ガイドによるワープロを用いたワープロオペレーター)、事務職の養成コースなどがあり、そのほか、東京都や神奈川など自治体で、電話交換手の養成を行っている。また、聴覚障害者と視覚障害者を対象とした短気大学として、1991年に筑波技術短大が開学され、視覚障害関係では、鍼灸学科、理学療法学科の他、情報処理学科として、コンピュータプログラマーの養成を行っている。このように、電話交換手、コンピュータプログラマー、録音ワープロ速記、と選択メニューの数はきわめて少ない。さらに、全体として特定分野の技術習得、資格の取得が主であり、多くの職種に共通して必要なベースとなるもの、例えば一般事務というような訓練コースがあってもよいように思われる。なお、そのような中で、日本盲人職能開発センターで開始された事務職の養成コースについて、今後の動きが期待されている。
続きを読まれる場合は、「視覚障害者の就労の現状と課題」(2/4)へどうぞ。
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